「ゆとりゆとり」うるせえ!!!

社会では、ゆとり世代に対してとてつもない差別が行われています。「これだから、ゆとりは…」という言葉を、何度聞いたことだろうか。

なりたくて、ゆとりになったわけじゃないのに、そんなことを言われてもどうしようもないじゃないですか、ねえ?

「ゆとり世代は軟弱だ」とか「ゆとり世代の奴は根性がない」とかいうのは、確かに少しはあるのかもしれません。ゆとり世代であることの影響は、少なからずあるでしょう。

しかし、ゆとり世代も良いところがあるんだよって、僕は教えてやりたい。

そもそも、ゆとり教育とは

ゆとり世代の良いところを語るなら、そもそも「ゆとり教育」とは何かということについて語らないといけないでしょう。

ゆとり教育というのは、教育内容の厳選と削減、そして授業時間の削減、絶対評価の導入を行うというものです。

そして、学校が完全週休二日制となりました。

だから、「ゆとりは馬鹿だ」と言われるわけです。

それには、ある程度は納得できるんですよ。ゆとり教育より前に比べて学校にいる時間が短くなって教育内容も減り、学力が低下したというニュースを数年間、毎年のように耳にしていました。

だから、否定できない部分もあります。

それじゃあ、ゆとり世代は失敗なのか?

いえ、必ずしもそうは言えませんよ。

ゆとり教育の目的というのは、「学校の時間を少なくして、自分たちで行動し考える時間を増やし、豊かな人間性を育む」ということだったんです。

簡単に言えば「学校以外から色々学んでこい」ということですね。

後で語りますが、それは実を結んでいると僕は思っています。

また、「60年代から70年代の教育は過度に詰め込みすぎた」ということの反省から生まれた教育制度でもあります。

60年代・70年代の教育は「根性」とか「精神論」を用いて本当に詰め込んできて、厳しかったんですよね。

それを象徴するのは、体罰や「廊下に立たせる」などといった行為でしょうか。

上の世代から「ゆとり世代は根性がない」とか「打たれ弱い」とか言われるのは、こういった教育方針の違いが論拠となっているわけですね。

その理屈は、案外理にかなっていると思いませんか?

馬鹿だと言われることとか、打たれ弱いと言われることなど納得できる部分も結構あります。

でも、ゆとり世代からしたら、そんなことを言ってくる上司はただの老害なんです。

ゆとり世代は、自分のためを考えられる

僕たち日本人は、昔から「国のため」「社会のため」と、他者のために考え生きることを美徳としてきました。

確かにそれは美しい考えですが、僕からすれば美しすぎます。誰か自分以外の個人のために生きることはできるでしょう。そうでなければ、家族というコミュニティは崩壊してしまいます。

でも、社会とか国とか…単位大きすぎだろ!!!

それを支えることができる、単位の大きな物のために生きることができるのが上の世代が語る「甲斐性」や「根性」なのか?

そのために個人が犠牲となることが、あっても良いんだろうか。自分のために生きないなら、なんのための命か。

個人のための社会であって、社会のための個人ではない。

ゆとり世代の良いところは、「社会のため」という古くからの美徳に対し、このように意義を唱えることができるところだと僕は思っています。

「豊かな個を育てるため」というゆとり教育の目的がありましたが、それは成功していると言えるでしょう。

また、「ブラック企業」という言葉が流行したことも影響しているんでしょう。そこで僕ら若者ゆとり世代は「会社は社会の全てではないこと」に気づき、「自分のために生きること」に目覚めたわけです。

事実、ゆとり世代は自分の辞めたい気持ちに素直ですよね。「ゆとりはすぐ辞めて根性がない」と言われていることから、それが伺えます。

ゆとり世代が仕事を辞めるのは、根性が無いんじゃなくて、「自分のため」を考えることができるからです。

「この会社にいると自分が壊れる」「自分のためにならない」と感じて、辞めたいという気持ちに素直に行動を起こしているんですよ。

これは、根性無しですか?

むしろ、強いと僕は思います。

だって、「社会のため」という大義名分や大きな信じる対象が無くても、生きられるんだから。

頭ごなしに「ゆとりは…」と言うのではなく、そういう部分は見習わなくてはなりません。そして、ゆとり世代は自分の世代のことを自虐せず、良いところもあるんだと誇りに思うことが大事ではないでしょうか。